日本における屠畜の歴史
1867年(慶応3年)5月、外国人に牛肉を供給していた中川屋嘉兵衛が、江戸荏原郡白金村に屠牛場を設立したが、これが日本における近代的屠場の最初であろうという。明治以降、屠場を設立する者の数は増え、日露戦争の時には全国で約1500を算えた。しかしその設備の不完全、また衛生上、保安上改善を要する点が多く、1906年(明治39年)に屠場法が制定された。
日本国内における牛馬の屠殺は、その歴史的な経緯から不浄な行いというイメージも付きまとい、そこには食用家畜を単に消費するという他の肉食文化では日常の延長に存在した行為という位置付けに無く、被差別階級の人々が専ら行ってきたという解釈がされることが多い。
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しかし、その日本でも更に歴史を紐解けば、いわゆる生贄なども含め儀礼における祝いをあらわす「祝(はふり)」という語句と、「屠る(ほふる)」ないし「屠り(ほふり)」という語句は語源が同じであり、もともとは犠牲を供して穢れ祓い清める役割の人物が行っていた。つまり神職及びそれに近い役割の人々が行っていたと思われる。その後の食肉に必ず伴う屠畜についても、彦根藩が元禄3年(1690年)に「薬喰い」の薬として牛肉を販売、更には藩主自ら毎年のように将軍家への献上品として「牛肉味噌漬」を贈っていたなどの歴史もあり、時代背景や地域条件による差別、被差別で一概に語られるべきものではない。
日本では仏教の伝来にも伴い平安中期から獣肉などに携わることを穢れ(信仰上の禁忌・タブー)とする見方が広がり、1922年(大正11年)の水平社宣言に至るまで印象が一人歩きしている。